2012/02/16

emile, or on mad education

「エミール」

中川八洋、渡辺昇一、1997



尖閣列島に日本の議員が上陸した、当たり前の話なんですけど それに対する日本政府の反応ていうのはあまり品格なかったですね。

1997年5月6日(平成9年)、西村さんは尖閣諸島魚釣島に視察を行った。国会議員の上陸はこれが初めてのことであった。(wiki引用) 魚釣島上陸の記録


要するに日本の政府が国家としての当然持っておくべき勇気とかそういうものが無い、 つまり周辺の国から抗議を受ける、それに対して卑屈になる。 卑屈であるとか卑怯であるというのが、 いうことが、品格において最もマイナスの要因なんですよ そういう意味で、国がいかに、日本という国がいかに品格を失っているか、つまり 卑屈であるとか卑劣であるということを示す、そういう意味で 西村眞悟さんの今度の行為はリマの藤森大統領と同じような素晴らしい日本の歴史の残る行為であって

西村眞悟
西村さんに一番感銘したのは この前の総選挙のとき 西村さんの行為は二つだったんですよ。 一つは、この状況では日本の国土が危ないから 私は当選したら議員として尖閣列島に上陸してみせる、と
もう一つは今みたいな教育、自虐教育、自分が悪い、日本だけが悪いと教えてるような教育では日本が成り立たないから 自虐的な教育を止めさせる。 この二つをね、公約だったんですよ。

やっぱり政治というのは未来に対する責任を果たす事なんです、つまり未来の子孫に対して 領土というものは先祖からお預かりして、そして子孫に相続していくものが領土なんですね 領土を子孫に相続させるという行為は政治家の中の筆頭なんですよ。 同じようにその子孫がですね。次の日本を背負って正しく責任をもってさらなる子孫に持っていけるには 正しい健全な教育をしなければいけない。

その二つを、今、理解してる国会議員なんてほとんどいませんから

公約するってのがいいですね しかも小選挙区ですからみんな不安ですよね その時に地域に利益誘導みたいな事一切言わないね。 尖閣列島に行った時、どなたが大臣が所有者の許可も得ないで、軽犯罪法ですよ、なんて言ったら 軽犯罪法のどこに相当するんですか?と逆に詰め寄りましてね 軽犯罪法のどこに引っかかるかなんて誰もわからないわけですよ。 そしたら西村さんはね、ユーモアがあるんですね。
実は私が犯したんです。 無人島に長く上陸してましたから立ち小便しました。 非常にユーモアがある政治家ですが、これは気骨があるんですね。

国土も伝統である教育も子孫に伝えるというのは非常に重要な事だとおっしゃいましたね。 これはもう本当は常識なんですけれども、 例えばですね、 それを伝える中核は家庭であるはずだが、それを分解させようとされているんですね。

そうですね。 今の夫婦別姓問題もそうですけど その夫婦別姓問題もおっしゃった通り、夫婦間の絆を切断したり あるいは親子の間を切断しようという左翼運動なんですけど 要するに家族というものが無いと、その家族というもので実は道徳の殆どは教育を受けるわけですよ。 学校教育以上に、その道徳の基本、道徳が何故に家族で伝わるかというと 家族の中に連綿たるその血の連続がある 祖先から子孫へにその家なりに

その中で様々な躾が行われる、実際に恥を知れとか対面を穢すぞとか 名誉というようなもの、道徳の一番の羞恥心を教えるのはこれは家族でしかあり得ない。 そういう意味でその家庭教育というものを最も重視しなければいけない。 しかもそれが崩壊しつつある、それが今、 日本の法務省なんかは逆にやってるという大変大きな問題があります。 しかも日本の家庭を壊そうと意識的に一番熱心にやったのはマッカーサーだったんですね。 家庭の基礎中の基礎である相続税を物凄く重くしたんですね。

要するに相続税の問題っていうのは 普通の方は単なる一般的な社会正義みたいなことで所得の分配という風に考えるんですけど もともと相続税を入れようと、あるいは入れるべきだと提唱したのはマルクスなんですよ。 1848年の共産党宣言の箇条書きでこうするべきだと共産社会を作るために、 その第2項に書いてあるんです。


マルクス エンゲルス 「共産党宣言」(岩波書店、大内兵衛 向坂逸郎 訳)
第二章プロレタリアと共産主義者より
  1. 土地所有を収奪し、地代を国家支出に振り向ける。
  2. 強度の累進税
  3. 相続権の廃止
  4. ・・・・・・・・・・・・・


Karl Heinrich Marx
(1818-1883)
で、つまりその相続税ということをしますと当然、家が継続できない。 ということにおいてその家族が最終的にバラバラになる、
つまりその祖先から子孫に伝わる、 道徳を育んていくあの場が無くなるんですね、家というのは単なる家産財産ではなくて あれは聖なる場所なわけです。 道徳が育っていく一種の温室なんですね。そこを潰して 道徳の無い無道徳な 社会としての 共産社会を作る方法として、最も簡単な方法としての相続税の導入論なんです。 その点を見事に彼は効果を洞察したんですね。

現実に相続税が非常に高いのは世界で2ヵ国しかないんです。 それは日本とスウェーデンだけなんです。 スウェーデンはとうとう家族が崩壊しました。 スウェーデンは単なる共生関係の一緒に住んでる、 つまり殆どの家庭が両親と血が繋がってるていうケースが失くなってるわけです。 だから今スウェーデンは犯罪発生率が実はあのアメリカの2倍なんです。(単位人口あたり) 次にスウェーデンは亡国への道に走っていて よく言われているのは世界で3ヶ国、国が滅ぶだろう。来世紀に。 スウェーデンか日本かドイツか その3つのうち誰が早いか? とこういうような事を真面目に国際的には議論されてる。

その三つともやっぱり家族、、? やはり家族というのが、国家のあるいは社会の基盤を形成します。 家庭の中で、もう一つその家族の関係を強くすると同時に 家庭教育というのは二つあって一つが 恥という事を教える これを教えないと例えば女子中高校生の援助交際というような問題が起こるわけです。 つまりあれは恥を知らないわけですね。 それからもう一つ 昔は廉恥心と言って「廉」という言葉があります。 自分の欲望を抑えるという事になりますけど、つまり 質素だとか節倹だとかそういう事を今教える事はありません。 ですから30万円のスニーカーを買いたいという事だけで援助交際をする いうような行為が行われる。

それよりもっと酷いのは、実は、 躾が無くなった、だから食事のマナーとか、歩き方とか、 立ち振る舞いとかいうのに到りますと日本が一番最低を記録してて 今、学生は大体真っ直ぐ歩く事ができないし、 それから、きちんと立っている事ができない、 あるいは授業で日本の大学は私語だらけという非常に特殊な状況が起こる。 しかも、これがだいたいここ3年くらいの新しい現象ですけど そういう意味では現実に日本の子供たちが 人格喪失状態を提起してるという重大な状態になってきました。 私は大学の教壇に立って ここ目立って印象としてくるのはね、なんか男の子に元気ないなぁ その原因があまりハッキリ分からなかったんだけど やや調べて見てわかったのは 侵略を進出に変えたような教科書は一つもなかった。 無かった事は私もテレビでやりました こんな報道に対して公開質問を出したんですけどね、答えれなかったんです。 その年の秋に、 鈴木首相が北京政府、北京訪問するために それを調子良くするためでしょうか、当時の宮澤官房長官がもう謝らなくたっていいし、北京政府は抗議を 止めたのにもかかわらず謝ってね、しかも教科書は周囲の国の感情に配慮するというような趣旨のような 事を教科書に入れちゃったわけですね。そうしますと教科書の検定ができなくなるんですね。


近隣諸国条項(wiki引用)
・・・1982年(昭和57年)6月26日に、文部省(現在の文部科学省)による1981年度(昭和56年度)の教科用図書検定について、「高等学校用の日本史教科書に、中国・華北への『侵略』という表記を『進出』という表記に文部省の検定で書き直させられた」という日本テレビ記者の取材をもとにした記者クラブ加盟各社の誤報が発端となり、中華人民共和国・大韓民国などの国が抗議して外交問題となった。

1982年(昭和57年)8月26日に、日本政府は、『「歴史教科書」に関する宮沢喜一内閣官房長官談話』を出して決着を図り、その談話では、その後の教科書検定(教科用図書検定)に際して、文部省におかれている教科用図書検定調査審議会の議を経て検定基準(教科用図書検定基準)を改めるとされていた。

文部省内においては、1982年(昭和57年)11月16日に教科用図書検定調査審議会から答申が出され、1982年(昭和57年)11月24日に文部大臣(現在の文部科学大臣)が、規定を新しく追加する教科用図書検定基準の改正を行った。


今の問題はですね。大きく二つの問題を提起したんですよ。 一つは自分の祖先を中傷し誹謗するという事をするわけです。 当然、子供たちは自分の父親とかあるいは祖父とか、そういう者を否定されますと 当然、人格が健全に成長しない。
だから仮に悪い事をしても、それについては言わない。 そして歴史教育の基本はやはり民族にとっての国家にとっての英雄とか素晴らしい事をした人達を顕彰してあげて、その顕彰の物語を教えるのがこれが歴史教育の根本なんですね。 そうでない限り、民族というものは継続できないんですよ。

それからもう一つ、国家は謝罪するものでは無いんですね。

国家は他国に対して感謝しなけきゃいけない。 例えばフィンランドは今でもフィンランドの学生はあの5月27日を知ってるわけですよ もう90年経ちました、日本海開戦ですね。日本海開戦、東郷平八郎を全員知ってます。 東郷平八郎を全員知り、そして日本海開戦を知り、それが要するに三世代も永々と フィンランドの家庭の中で祖父から父にそして子供へと伝えられて、そして自分がお世話になった国に対する感謝です。
日本は感謝という事がない、 他国に対すて感謝はしない、そして頭を下げる これは国家ではないんです。国際法も謝罪ということはありません。 ですから例えば大東亜戦争の東京裁判でも謝罪をしろとは言いません。謝罪というのは名誉を穢すような行為はやはり武士の情としてしない訳です。そういう国際社会の一般ルールを無視して国家が謝罪する、それは謝罪をした瞬間にその国家が 民族として立っていかない、国家の未来が消えるという事でしてはならないんです。

国家の品性が失くなれば、そこに住んでいる子供たち、そこに育つ 子供たちの品性も重大なる影響を受けるわけですね。

要するに国家の品格とは国民の品格であり 国民の品格が下がれば、当然国家の品格も下がる

もう一つ、日本の国家の品格が下げてるあるいは日本人の品格を下げてる 問題は生命尊重という問題があるんですよ つまり今度のリマ事件もそうですけど 生命尊重するというのはあたかも真っ当な考えのようだけど あれは単なる命乞いをする行為ですから だから国際法でも命乞いとか生命尊重ていう概念は全くありません。 むしろ国際法であるのは、 悪い奴がいたらみんなでそれをやっつけるという集団的安全保障という概念があって それが国連憲章の第7章であれだけ延々と書かれている訳、 つまり悪いテロリストがいたり侵略国家がいたらみんなでやっつける その時には自分の生命を捨てるんですよ。 生命が自分の生命より国家とか法秩序とかそういうのよりは低い 要するに、生命は鴻毛より軽しというような概念が無ければ 国際社会も実際の国家社会も成立しない。

そこを教えない、逆に恥知らずを教えるわけです。 命乞いをする、それは当然、子供たちは結局、道徳を喪失するのは当たり前になってきます。

確かに、生命鴻毛よりも軽く考える戦争中に教えられすぎたんですね。 しかしあれは後半部分があるんですね。

「死は泰山より重く、鴻毛より軽し」ですから

死ぬという事は泰山より大きな山よりも重い場合もあるし 鳥の羽よりも軽い場合もある 両方なんです、人間としてですね、いつ死ぬべきか?あるいは死より苦しい時には 如何に生きるか?というその生と死というものをを見つめるということを 昔は子供の時から官学教育でやった、特に侍の家では3歳くらいから教育をするわけ 3歳から14歳くらいまでの間に生死というものを教えるのでしょう そこに道徳の最も深遠なる部分、精神の高貴性が生まれる、 それが全く排除され



ペルーの人質救いに突入した人たちも死ぬ覚悟で突入したわけですよね 実際、亡くなった人もいるわけですよね

在ペルー日本大使公邸占拠事件(wiki引用)

1996年(平成8年)12月17日(現地時間)に、ペルーの首都・リマで起きたテロリストによる駐ペルー日本大使公邸襲撃および占拠事件。翌1997年(平成9年)4月22日にペルー警察の突入によって事件が解決するまで、4ヶ月間以上かかった。在ペルー日本大使公邸人質事件とも呼称される。 (中略) 犠牲になった特殊部隊隊員のファン・バレル中佐とラウル・ヒメネス中尉のもとには、一部のマスコミや市民団体を経由して多くの日本人から義捐金が寄せられた。また、脱出時に怪我を負った青木大使は、事件直後こそ代理の者を葬儀に向かわせざるを得なかったものの、怪我がまだ回復していないにもかかわらず2人とカルロス・ジュスティ最高裁判事の墓前に向かい冥福を祈った。その後ペルーを訪れる日本の閣僚は必ず2人の墓前を訪れている。


二人亡くなって、その内の一人は、 ポケットの中に遺書が残ってて、僕の名前を時には思い出して欲しい ていうのが最期の結びですよね

だけど公的な義憤を感じて、そして自分の生命を捨てても人質を救出するとか 他のために捨てるというようなものがあるから、道徳がそこで始まるわけですよ。 だから生命尊重と言った瞬間に道徳が無くなら日本人のように品格の無い日本人が生まれるということになるんですね。 ペルーのあの飛び込んだ人たちのように、他の人の命を助けるために 自分の命を捧げてもいいというような伝統は日本でもあったんですよね。 それが一切消されて、とにかく、生命は大変大切なんで、それは山よりも重いものである、これはいいんですよ、しかし場合によっては、生命は鴻毛の軽きに置かなければならない事もある。それをあのペルーの飛び込んだ人たちは知っておった。 我々の先祖も知っておった。 戦後の日本人だけ知らなくなった。 人類の歴史でですね、 生命を軽んずるという概念が消えたのは 戦後の日本だけであって諸外国全部生きてるんですね。 徳性という元々の言葉でラテン語ではヴィルトス(virtus)と言って 基本的にそれは男性的であるという事を意味してて、 それはいざという時に戦争その他に行って命を捨てるという事から発生してる。

戦争というものが徳性を磨き、 平和な時代に徳性が堕落していくいうのも古今東西の原理原則ですよ。

で、今の話でちょっと付け加えたいのは ところが 学校教育で人権教育という人権という名前において生命を尊重という事を正当化する教育を 今、小学校でも中学校でもしてる 如何なる場合でも「生命だけ」となると命乞いだろうが、恥ずかしい事だろうが、裏切りだろうが何でもやってもいい という事になる ですから人権教育を受けますと義というものがなくて、例えばクラスメートの一人が5~6人の非行少年に集団リンチを連続して受けてる。 つまりイジメを受けてる、という時にみんな逃げる、つまり自分は関係ないと言って逃げちゃう、 という状況になって、でしかもその被害者は当然逃げられませんから、そうすると生命尊重という事があるがゆえに結局自殺という道しかないんですね。

大変皮肉というか逆説的というか生命尊重のために自殺に追いやられるようなメンタリティになっちゃうんですね。

Jean-Jacques Rousseau
(1712-1778)
そういう事は当然ルソーっていうのはですね、人権っていう概念を作った人ですけども、フランス革命の前に、やはりそしてフランス革命は人権宣言 ルソーが考えたのは 結局、人間を動物化して、、 動物化をしていくという意味における人権(ていうのは人間の権利、つまり生物学的に人にする)ということは 動物と牛や馬と同じにする、という事で その生命の尊重という事は動物にとって必要ですから、だけど動物であることはまた逆に家畜ですから如何に殺されても構わない。

ルソーの思想から起こったフランス革命が人類最大の殺戮をやったわけですよね。 またこれも人権の結果、大殺戮にいったという皮肉と言いましょうか逆説と言いましょうかあったんですね。

ルソーというのはですね、明治以来、日本でも、特に教育界では大変な古典として崇められていたんですねエミールなんか。ところが、中川さんが日本で初めてルソーを完全にその本質を暴きさったんですね。 中川さんのルソー論はやはり、日本の明治以来の西洋の思想研究史のうちでね、 一時代を画する大業績だと思いますよ。
あのルソーというのはまた、実際、家庭を知らなかったんですよね。

生まれた時には、もう母親は死んでおりましたしですね。 そして11歳まで父親と一緒ですけど父親は自分の子供であるルソーを学校にも出さない。 そして11のときに他の女を作って出て行く、そうすると、生まれながらにして孤児 学校も行った事がない、でそれは11歳からジュネーヴからパリに向けて約5年間放浪生活 殆ど窃盗、という生活をして、コソ泥しながらパリに行ったわけですね。 そしてパリで貴婦人の燕という職業を得る、それが16歳 ですから彼にとって 家庭を持ってる人に対する恨み、それから文明社会に対する恨み だから自分と同じようにその浮浪児と同じようにする、つまり動物を同じようにする ということに執念かけて書いたのがあの「人間不平等起源論」なんです。
ルソーっていう人は確かに天才だけれども、普通の人には無いぐらい強い嫉妬心と 恨みを持てる人なんですね。

彼の文章は全て憎悪と嫉妬心だけです。 だから自分が家庭がなくて非常に惨めな思いをしたと、家庭を持ってる人がみんな羨ましくてしょうがない。 地上から家庭を失くするような思想を考えようと、なったんですね。

そういう意味では天才の中の天才だと思いますけど、 でしかももう一つ彼、重要な経験はですね。 彼は一応5人子供を産んでんですよ。 5人とも産まれたらすぐ捨ててんです。 つまりやっぱり、こうやって家庭を持たない人格障害者なんですね。 で、そういう人格障害者を平然とその日本の全ての教育学部で 教育学の一つの教科として、将来、教員になる者に授業し試験を受けさせて そして「エミール」その他を読ませてるというのは

反教育の教育をしているという事になります。

だからその、ルソーとはこういう人間なんであって「エミール」を書いた動機も何もそれはまともな生活を知っている人に対する 強烈なる嫉妬と憎しみから書かれたんですよ、というね、それを知ってて読めばいいんですけどね。 ところがルソーは文章の天才らしいので読んでると引っかかっちゃうんですね。

しかもその文章の天才であるし、フランス語であれば超一流の文学者の文章ですから やはりあれにみんな魅力を受ける、 だけどやっぱり内容、読んだ後に



感動させながら頭をおかしくしていく



あの、論理構成をする。
ですからやっぱりルソーを読むと、頭が腐って そしてやっぱり自分の国家社会に対する憎悪感が生まれて、自らの国を滅ぼす あるいは自らの、学校の先生であれば、自分の子供たちを狂わせていくという事をしてるんです。 大変な悪魔のような人なんですね。


人類の歴史に二人の悪魔がいて第一がルソーで、第二がマルクスだと思いますけど


そしてそのマインドコントロールが 拡大再生産されてるような感じですね大学で 既にその戦後教育を受けてルソーが好きになった、あるいはルソーを尊敬する、教師が大体、2回転くらいしてるんですよ。 大変恐ろしい事態になりました。
戦後ね、ルソーというと危機感 マルクスみたいに、危険な一つの社会主義という社会主義・共産主義に対して危機感を持った人もね ルソーというとそれほど危機感を持たないで引きずりこまれたっていうところがあるんですね。
やっぱりイメージ的フランスだという事とですね、もう一つやっぱり フランス革命に対するいいイメージがあって、それがあたかもそのデモクラシーとかですね、近代とかというような言葉でオブラートに包まれた ってことでやっぱり非常に誤解ですよね、だからもう一度読み直していただきたいと思います。
フランス人はさすがにこの頃その、呪縛から溶けかかったところがあって フランス革命100年祭は盛大だったようですけど200年祭はあまり盛り上がなかったとかね、 そうすると、日本が私どもが次の子孫に対してするべきことは 憲法24条という問題があるんですね、24条で、あそこで個人の尊厳とかあるいは両性の本質的平等において 家庭という事を書いてある。

日本国憲法 第24条 条文
  1. 婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。
  2. 配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。

そこにはその本当の意味での家族、親子関係、あるいは祖先から子孫に繋がっていくという家族というものがありませんよね。
そういう意味で憲法24条の全面改正という事をしない限り やはり日本も家族が解体していって日本の道徳の基盤が全部崩壊をしていくわけ それが国家の崩壊に繋がっていく
それが国家意識の否定と組み合わさっていくという、そういう問題があります。
そういう家を大切にするというのはね これは確かに人間の存在としての一番肝心なところなんですね。 そこでこそ、その子供が生まれ、育てるわけなんですね。 そこでは例えば親と子供は同権では有り得ないわけですよね。 ところが、生まれた子供と親まで同権までしなければ気が済まないという方に進んでいるような感じがするんですね
それは要するに共産社会ですね。つまり実質的には親子関係が存在しない社会に持っていこうと言ってる訳です。
そして本当にバラバラにしちゃってね たまたま男女が一緒に住んでて子供が生まれました。子供が大きくなったら家庭も解散するつもりです。 なんて趣旨の事を得々とテレビで喋ってる様な人たちが夫婦別姓論なんか唱えているんですね。

そうですね、一種の動物化現象が起こってる訳ですね。日本に


ジャン=ジャック・ルソー(wiki引用)

  • マリー・アントワネットが言ったといわれる「パンが無ければお菓子(ケーキまたはクロワッサン)を食べればいいじゃない」の台詞が良く知られているが(原文は「S'ils n'ont pas de pain, qu'ils mangent de la brioche.」、訳せば、パンがないのであればブリオッシュを食べてはどうか)、これは告白録の第六巻に、ルソーがワインを飲もうとしたとき、パンがないとワインが飲めないので、パンを探したのだが無かった。そのとき、ルソーはふと「農民にはパンがありません」といわれて、「それならブリオッシュを食べればよい」とさる大公婦人が、答えたことを思い出したという記事が原典であるといわれている。それは、ルソーが新しい愛人が出来たヴァラン夫人と気まずくなって、マブリ家に家庭教師として行っていた時代(1740年頃)であるらしい。

  • 私生活においては、極度のマゾヒズムや露出癖、知的障害者に性的虐待を行い妊娠させ次々に捨てるなど、性倒錯が顕著でもあり、自身の著書『告白』などでそれら様々な行動について具体的に触れている。少年時代には強姦未遂で逮捕されたこともあった。

  • 主な著作:学問芸術論(1750)、人間不平等起源論(1755)、社会契約論(1762)、エミールまたは教育について(1762)、告白(1766)、孤独な散歩者の夢想

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