2021/06/11

pink beat '77

「渚のシンドバッド」
ピンク・レディーの4枚目のシングル「渚のシンドバッド」を始めて聞いたのはたぶん「ドリフ」か「夜ヒット」だったと思います。1977年の6月、ハワイで雑誌の撮影があったらしくちょっと灼けた肌にライトがあたってほんのりピンク色、そして青い渚を連想させるキラキラのスパンコールの衣装に身を包んだ2人。YouTube↓に上がってますがこの映像を観てビックりして。当時は何て素敵な曲なんだと思いました。 街中(まちなか)のレコ屋までレコード買いに走ったはじめてのレコードだったりします。何しろこんな曲は聴いたことがなかったから。 ついでに好きだったシミケン(清水健太郎)も買ってポータブルレコードプレイヤーは親に買ってもらってシングル盤を漁るようになったきっかけが渚のシンドバッド、こういう人多いんじゃないかな。 キタ━━(゚∀゚)━━ッ!といった感じのロックンロール歌謡、この楽曲の魅力は 軽快で弾むようなロックンロール調のテンポにアッアッアッアーッで始まるミーちゃんとケイちゃんの可愛くてセクシーな美声ハーモニー、 とくに「♪くちびる~ぬすむはやわざは~」からミー(高音)とケイ(低音)のハモりが強調され、 ベースラインがズンズン駆け上がっていって「♪セクシ~あなたはセクシ~💗」で絶頂に到達する、ここの展開にこちらが射精しそうに悶絶しそうになってしまって 、ロックもディスコも知らないガキ(10才)にはこんなにウキウキ楽しくイキそうになる音楽との出会いに 衝撃を受け快感を覚えたのでした。同時期のラモーンズや後のパワーポップにも通じる革新的なシングルではないでしょうか、日本の歌謡界の最高峰のシングルだと思ってます。ここからピンクの人気に火がつき社会現象となり、ピンク・レディーは不世出の超がつくスターになります。そうそう当時は街中(まちなか)では常に音楽が流れていて、音楽をみなで共有していた。商店街で海水浴場でラジオから音楽が流れ、道端で小さな5~6才の女の子が「あなたはセクシィ♪」のポーズをやりながらイキそうになったりピンクを踊ったりもよく見られた光景でした。

「渚のシンドバッド」


アアア アアア・・・・・・
アアア アアア・・・・・・アアア渚のシンドバッド
ここかと思えばまたまたあちら 浮気なひとね
サーフィンボード小わきにかかえ 美女から美女へ
ビキニがとってもお似合いですと 肩など抱いて
ちょいとおにいさん なれなれしいわ

くちびる盗む早わざは
うわさ通りだわ あなたシンドバッド
セクシー あなたはセクシー
私はいちころでダウンよ
もうあなたに あなたにおぼれる

波乗りあざやか拍手をあびて キッスの嵐
あちらのパラソルことらのパラソル ウインク投げて
夜ふけになったらあなたの部屋へ しのんで行くよ
ちょいとおにいさん いい気なものね

うっとりさせるテクニック
腹が立つほどよ あなたシンドバッド
セクシー あなたはセクシー
私はいちころでダウンよ
もうあなたに あなたにおぼれる

作詞:阿久悠
作曲・編曲:都倉俊一
ドラムス:宗台春男(exザ・バロン)
ギター:津村泰彦(exザ・ダウンビーツ)
ベース:武部秀明(千原秀明、exアダムス)
キーボード:羽田健太郎
リリース:1977年6月10日
レーベル:ビクター音楽産業
価格:600円
最高位:1位(8週)


タイトル決定会議:
阿久「夏のメルヘンにしたいね・・・・夏の冒険物語・・・・」
都倉「やはり夏は渚ですかね・・・・」
阿久「じゃあメルヘンはシンドバッドにしようか」
阿久&都倉「渚のシンドバッド!!」
え?二人にしか分からない会話ですが・・・

世界千夜一夜シリーズ:
千夜一夜物語(アラビアンナイト)というのは千夜と一夜(1001)の夢物語を集めた膨大な説話集で原型は古くサーサーン朝(ササン朝ペルシャ)時代にまで遡る。有名な説話は児童向けに翻案されて親しまれている。(wiki)
シンドバッドというのは馴染みが薄くてよくわからなかったけど(アラビアンナイトを題材にした音楽なんて聞いた事がない) 日本の渚にシンドバッド(アラブ人?)はいないし、あなたの部屋にしのびこんだりしない。
これは山本リンダのプロジェクトで阿久と都倉の二人がやってた「世界千夜一夜シリーズ」の続編でもあるんですね。ありえない世界観なわけです。
阿久と都倉は「"世界"千夜一夜シリーズ」と銘打って夢物語を題材に世界を巡り楽曲を作っていく試みをやっていたようで、 リンダの「どうにもとまらない」はリオのカーニバル(サンバ)、「じんじんさせて」は中国、「狙いうち」はロシア民謡、「ぎらぎら燃えて」はスペイン(フラメンコ)、というふうにつまり世界各地の音楽に阿久が書くありえない世界観の詩を載せていく(ブッとんだ楽曲になります)、そうやって世界中の音楽(リズム)を歌謡曲に取り混んでいくという試み、渚のシンドバッドは夏だからサーフィン、サーフィンといえばビーチボーイズ、つまりアメリカの60年代のサーフミュージックの歌謡的解釈であったりするわけです。さすが...、というかそれをやれちゃうって凄いよこの二人

波乗りパイレーツ:
都倉先生は高校時代に影響を受けたバックコーラスを従えた本格的なビーチ・ボーイズサウンドをピンクでやってみたい、とずっと考えていたんだとか。 しかし、77年時点では「コーラスをつけるより、2人をメインに出した方がよい」と考え「渚のシンドバッド」を提供したと述懐しています。 この本格的ビーチボーイズ・サウンドは2年後の79年の夏のシングル「波乗りパイレーツ」で実現します。 驚いたのはB面のUSA吹込盤と銘打たれた同曲のコーラスでなんと本物のビーチボーイズのメンバーが参加(ブライアン・ウィルソン、カール・ウィルソン、マイク・ラヴ、ブルース・ジョンストン)1979年でしょ、これすごいことなんですよBB5ファンなら涙もの、

ビーチボーイズですよ、ブライアン・ウィルソンですよ

なぜならビーチボーイズのブライアンウィルソンは1960年代の後半以降長らく音楽活動できる状態になく精神治療の寝たきりの身と伝えられており、公の場に姿をあらわす事はまずなくて、ビーチボーイズの活動にもブライアンは参加してなかったから。(1970年代においてのブライアンは廃人同様で復帰は絶望的とみられていた。ブライアンがソロとして奇跡的に復活したのはずっと後の1988年以降)そしてブライアンの高音ファルセット(ウーウーウーの箇所)はファンなら聞き分けられるほど特徴的ではっきりとわかる。ブライアンがレコーディングに参加してくれるなんてタイミングよかったんですかね、それともピンクの全米デビューが1979年5月だから、知ってて気に入ってくれてやる気になったのかな、ブライアンですら元気になるピンク・レディー、都倉さんナイスです。




ピンクのビート
子供たちに人気があったのはなぜか?:
元来、女性アイドルのターゲット層は中高大学生から社会人の若い男子であったはずで、ピンクも当初はそうだったんですが オヤジ目線のセクシー路線は確かに話題性にも寄与するが、ピンクの本質はそこじゃない(それもあるけど) 実際は子どもたちに爆発的な人気となる、しかもとりつかれたようにピンクのマネして踊り出した主層は「女の子」なんです。
後年、都倉は「ピンクレディーのどこが子供たちを刺激したのかいまだにわからない」と語ってますが、 ピンクが当時の(70年代半ばの)他の歌手と違うのは、歌唱重視(ノレない)とビート重視(ノレる)の差じゃないかと思います。
都倉は1948年生まれ、外交官の息子で子供時代をドイツで過ごし、欧米の文化圏でロックンロールに接しており、エルヴィス、ビートルズ、ローリングストーンズ、ビーチボーイズのビート感覚を自然と体得していた。これが結構大きいのではないかと、
それまで日本人好みと思われていた情緒に訴えかける「聴かせる歌謡」と、リズムで身体に訴えかける「踊らせる歌謡」の差異ではなかろうかと思います。子供は正直なもんで楽しいと身体が勝手に動き出す。踊りかたのお手本をピンクの二人が示してくれてる。(小学校の時、うちのクラスの女子は100%踊ってました、誇張なくホントに100%、男子は恥ずかしいのでやらない)
知ってる人は知ってると思いますが都倉さんが70'sに作った楽曲群は80年代以降も(おそらく今日でも)クラブではリバイバルヒットしてるんですよね。音もかっこいい。「踊りたい」に理由はないんですビートなんですよ。
女の子の(というか人間の)「歌って踊って(ちょっとセクシーな私を)見てもらいたい潜在欲求(原初的欲求)」を無意識のうちにつかんでしまったのがピンクのビートだったりするわけです。女子的に自身がヒロインになったかのような夢物語の爆音の渦の中にいる快感は相当気持ちいいでしょ。

Victor vs Sony
ビクター・レコードとCBS Sonyはどちらも親会社が電気機器メーカーで VictorとSonyといえばビデオテープの規格を巡るVHS対ベータマックス戦争 が有名ですね。
ピンク登場以前に日本の歌謡界を席巻していたのがCBS Sony系のアーチストでした。 CBS Sonyは新進気鋭のレーベルでそれまでの演歌やフォーク系の歌謡とは一線を画す 和製ポップス路線で一歩リード、良質なヒット曲を量産してたのがCBS Sonyです。
そんな中、ビクター・レコードから登場したピンク・レディー、これに対抗したのが酒井正利プロデューサー率いるソニー軍団だったわけです。
酒井正利さんは阿久悠(実質的なピンクのプロデューサー)をライバル視していたらしい。 歌謡界は、ピンク軍団(阿久悠、都倉俊一、ピンク・レディー) VS ソニー軍団(酒井正利、阿木曜子、宇崎竜童、キャンディーズ、山口百恵)といった構図になるのでした。

キャンディーズ:
ラン、スー、ミキ(其々ピンクより3コ上、1コ上、2コ上) キャンディーズは大人化計画によってセクシー路線強化、77年3月リリースの作詞:喜多條忠、作曲:吉田拓郎による「やさしい悪魔」はピンクを意識してる事は誰の目にも明らかで網タイツにゴスロリ服でデビルサイン、見せて聞かせる音楽としては非常に完成度の高いエンターテインメント・コンテンツだと思います。ピンクより一歩進んでる感すらあった。(歌詞中の「私を虜にする悪魔」とは阿久悠の事かもしれません) だからピンクが「渚~」を出した次はどんなエロい路線でくるのか子供ながらドキドキしてましたが「暑中お見舞い」のシングルを出した矢先に「普通の女の子に戻りたい!」と衝撃的な解散宣言を発表するのでした。 ピンクとの対抗路線を期待していただけに え、白旗上げたのかな?と私には映りましたが、、、
そして、この解散宣言がきっかけになって同情というかファンの解散を惜しむ熱意により一大キャンディーズブームが沸き起ります。(といっても当時はピンク旋風のさなかで、小学生は圧倒的にピンク応援で中高生以上のアイドル好き男子がキャンディーズ応援のイメージです、たぶん)
また当初は、77年9月末に解散と言っていたのに翌年の4月初までの活動を続けていて、子供ながら不思議でしたが、これは決して 炎上商法などではなく(ソニーがそんなことしない)、なかなか難しい問題で、レコード会社や芸能プロダクション(ナベプロ)から見ればアイドルコンテンツは「商品」ですから人気が出れば出るほどに本人たちの一存では辞めれない・辞めさせてもらえない(会社として事業が成り立たなくなるから)ジレンマに陥るんですよ。(詳細は色んな方が書いているでしょうから、割愛)それも踏まえた上での彼女たちの「解散宣言(カミングアウト)」だったのかもしれませんが、アイドル産業(人買い)の裏側を垣間見た衝撃的な事件でした。最期の半年間は彼女たちなりのファンや関係者への感謝の活動期間だったのかもしれません。最終的には「微笑がえし」(作詞:阿木曜子、作曲:穂口雄右)で念願のチャート1位に。


山口百恵:
ピンク・レディー、キャンディーズのターゲット層が小中高生なら大人をも魅惑するのが百恵さん。 アイドルの範疇で語るのがもったいないようなソニーの絶対的エース、 14才でデビューし、若くして歌謡界の女王として君臨してましたが(ピンクより1コ下なんです)
77年百恵さんがピンクに出会った時は百恵さん自身も音楽的に急激に成長をしている真っ只中の18才、 そして、自身の持ち味をよく理解していたのか独自路線を探りながら極める方向に突き進んでいきました。 76年の「横須賀ストーリー」で作家に阿木曜子-・宇崎竜童を(百恵さん自ら指名)起用し自身の方向性を確立、 百恵・阿木・宇崎のチームは当時唯一阿久・都倉のピンクに対抗できうるチームで、出すシングルは必ずトップ5ヒットとなります。 変貌期でもある77~79年リリースのシングル群は圧巻でどれもNo1になってもおかしくない出来なんですが、77年の「夢先案内人」でチャートトップを取ったものの以降はトップを取る事はありませんでした。チャート上はピンクが長期間首位を独占(1位固定)していたので、山口百恵か沢田研二が長期間2位を独占(2位固定)していた印象がイメージとしてあります。 さだまさしの「秋桜」、谷村新司の「いい日旅立ち」も名曲ですが、やはりロック調で吐き捨てるようなキメ台詞入りの阿木-宇崎夫妻作品が真骨頂でしょう。1979年6月リリースの「愛の嵐」は好きでした。(ストームストームストームストームストォム・・・、この頃がピークかな)眉1つ動かさないで歌う姿には、、、鬼気迫るものがありました。 いわゆるツッパリ路線なので好き嫌いは分かれると思いますが、ツッパリと言っても百恵さんの場合は忍ばせた投げナイフの銘柄にまでこだわるような花園学園のクールな女番長といった趣き、一途な女らしさもある。非常に少ない動きとまるで変化のない表情でこれほどの凄まじい表現を生み出せるのが百恵さんの持つカリスマ的資質です。「静」で魅了する歌謡の極致に至り「菩薩」とまで表現されました。「動」のピンクとは対極の位置
彼女もまた「私のわがままを許してくれてありがとう。幸せになります」そう言ってステージにマイクを置き、芸能界から去っていくのでした。

1978年4月にキャンディーズ解散、1980年10月に山口百恵引退、1981年3月にピンク・レディー解散
1960年代にアメリカ市場を席巻したビートルズ「ラバーソウル」 に触発されて ビーチボーイズのブライアンウィルソンが「ペットサウンズ」を作り上げたように、天才たちが切磋琢磨して夢中で音楽を作っていた時代が日本の歌謡界にもあったのでした。それはさながらスターによる千夜一夜の夢物語のようでもありました。

ヒットチャート(1977年):
ピンクはソニー軍団を圧倒しましたがヒットチャート上では、「渚のシンドバッド」は沢田研二の「勝手にしやがれ」と抜きつ抜かれつの激しいデッドヒートを繰り広げ、8週間1位を守り首位の座を譲った次の曲もピンクの「ウォンテッド」、「ウォンテッド」は12週1位を独占し、さらに1週開けて次のピンクの「UFO」が10週独占、1977年の1年間約50週のうち計28週ものあいだピンク・レディー作品が1位を独占、翌78年はさらにこの記録を更新して31週1位独占、約2年間の間に63週にわたってシング ル首位を独占することとなった。今思えば怒涛の名曲リリースラッシュ期ですね、77年の初冬は「SOS」と「失恋レストラン」がマイブームで下校時のテーマソング、春休みになって「やさしい悪魔」にいたく感動し、初夏にジュリーの「勝手にしやがれ」で「うわかっこいい!」ってなって、「渚のシンドバッド」でとうとうレコ屋に走らされる、以来、音楽は私にとってなくてはならないものになったのでした。
発売日タイトルアーティストレーベル最高位1位回数売上(万枚)
1976/11/21哀愁のシンフォニーキャンディーズCBS Sony12-22.8
1976/11/21赤い衝撃山口百恵CBS Sony3-50.4
1976/11/21失恋レストラン清水健太郎CBS Sony1562.8
1976/11/25S・O・Sピンク・レディーVictor1165.4
1976/12/5もう一度だけふり向いて桜田淳子Victor11-20.4
1977/1/20しあわせ未満太田裕美CBS Sony4-31.0
1977/1/21初恋草紙山口百恵CBS Sony4-24.1
1977/2/25あなたのすべて桜田淳子Victor6-15.2
1977/3/1やさしい悪魔キャンディーズCBS Sony4-39.0
1977/3/10カルメン'77ピンク・レディーVictor1566.3
1977/4/1夢先案内人山口百恵CBS Sony1146.8
1977/4/1帰らない清水健太郎CBS Sony1254.9
1977/5/15気まぐれヴィーナス桜田淳子Victor8-14.4
1977/5/21勝手にしやがれ沢田研二Polydor1589.3
1977/5/31恋愛遊戯太田裕美CBS Sony13-12.5
1977/6/10渚のシンドバッドピンク・レディーVictor18100.0
1977/6/21暑中お見舞い申し上げますキャンディーズCBS Sony5-29.8
1977/7/1イミテイション・ゴールド山口百恵CBS Sony2-48.4
1977/8/10愛のメモリー松崎しげるVictor2-63.9
1977/8/21遠慮するなよ清水健太郎CBS Sony3-20.7
1977/9/1帰郷/お化けのロック郷ひろみCBS Sony2-40.0
1977/9/1九月の雨太田裕美CBS Sony7-35.6
1977/9/2ゴッド・セイブ・ザ・クイーンセックス・ピストルズColumbia---
1977/9/5ウォンテッド(指名手配)ピンク・レディーVictor112120.0
1977/9/5もう戻れない桜田淳子Victor7-21.0
1977/9/5憎みきれないろくでなし沢田研二Polydor3-62.5
1977/9/21アン・ドゥ・トロワキャンディーズCBS Sony7-28.1
1977/10/1秋桜山口百恵CBS Sony3-46.0
1977/11/3勝手にしやがれ!!セックス・ピストルズColumbia---
1977/11/5しあわせ芝居桜田淳子Victor3-36.5
1977/12/5UFOピンク・レディーVictor110155.3
1977/12/5わなキャンディーズCBS Sony3-39.2
1977/12/5泣き虫清水健太郎CBS Sony15-11.6
1977/12/5禁猟区郷ひろみCBS Sony8-16.1
1977/12/21赤い絆山口百恵CBS Sony4-21.5




参考サイト:
気まぐれオレんちLP:『ピンク・レディー/ベスト・ヒット・アルバム』(1977)
ピンク・レディーの「渚のシンドバッド」がオリコンチャートの1位に輝く。
70年代の歌謡曲に変革を起こした都倉俊一の功績
都倉俊一の音楽体験
千夜一夜物語
山本リンダ『燃えつきそう/山本リンダの魅力』
山本リンダインタビュー
CBS Sonyについて
酒井正利インタビュー
山口百恵と「涙のシークレットラヴ」の出会い
1977年ヒット曲 昭和52年の年間シングルランキング
波乗りパイレーツ(日本吹込盤)
波乗りパイレーツ(夜ヒット)
胸ゆれゆれサーファーガール

0 件のコメント: